豊臣秀吉さんは、死んでからすぐに神様になることを望んだ初めての人物だと言われています。
これまでも過去に人間だった人を神様として祀ることはありましたが、いずれも死後数年から数十年経ってから他者によって祀り上げられることになった方々ばかりでした。
たとえば、北野天満宮の菅原道真、白峯神宮の崇徳天皇、神田明神の平将門などのように、死者の怨念を恐れ、怒りを鎮めてもらうために神として祀り上げられたケースがほとんどです。
ですが、秀吉さんは死ぬ前に自ら、死後すぐに神様として祀られることを望んでいたそうです。
それは一体なぜなのでしょうか?
秀吉さんはどこに、どんな神様として祀られることを望んでいたのでしょうか?
そして現在の秀吉さんはどのような状況にあるのでしょうか?
今回は、亡くなってからの豊臣秀吉さんについてまとめました!

神様になりたかった豊臣秀吉さん
死ぬ前に神様になる準備をしていた秀吉さん

死後すぐに神様として祀られることを希望していた秀吉さん。
先述のように、多くの元人間だった神様は、死後数年から数十年後に他者の意思によって神として祀り上げられていました(北野天満宮の菅原道真、白峯神宮の崇徳天皇、神田明神の平将門など)。
ですが、豊臣秀吉さんは自らすぐに神様として祀られることを望み、生前からそのための準備を始めていました。
豊臣秀吉さんと直接お話をした内容がまとめられた桜井識子さんの著書『運玉(うんだま)』には、
秀吉さんは死後、とある神様になるよう用意周到に準備していたというのに、違う神様として祀られてしまいます。
運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】
と記されています。
では、秀吉さんはなんの神様になるつもりでいたのでしょうか?
八幡様になりたかった秀吉さん

どうやら秀吉さんは、死後に八幡様として祀られることを望んでいたようです。
八幡様は、武運の神様として知られています。源氏や平家をはじめとする多くの武家に信仰されていました。
秀吉さんは、国家鎮護のため、そして豊臣家の行く末を見守るため、八幡様になることを望んでいたのではないかと言われています。
遺書にも「新八幡として祀ってほしい」と記されていたといいます。
1598年9月18日、享年61歳で豊臣秀吉さんがお亡くなりになると、遺体は阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬されました。
阿弥陀ヶ峰(京都府京都市東山区の東山にある山)のふもとの、現在の豊国廟がある場所に社殿の建築が始まります。
この建設中の社殿は、新八幡として祀られることを望んだ秀吉さんの望み通り、新八幡社という名前で知られるようになります。
意思に反して”豊国乃大明神”になってしまった秀吉さん

ところが、秀吉さんは死後に朝廷から豊国乃大明神(とよくにのだいみょうじん)の神号が与えられました。
なんと朝廷によって、秀吉さんが望んでいた新八幡様から豊国乃大明神の神様に変えられてしまったのです。
それに伴い、新八幡社の名前で呼ばれていた新しい社殿も、いつの間にか豊国神社という名前にされてしまいました。
これは秀吉さんに対する朝廷の嫌がらせではなく、むしろ秀吉さんを敬い、日本の古来の名称「豊葦原中津国(とよあしはらのなかつくに)」を意識しつつ、豊臣秀吉にちなんで付けられた名前だと言われています。
秀吉さんは死後、とある神様になるよう用意周到に準備していたというのに、違う神様として祀られてしまいます。
運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】
せっかく新八幡様になる準備をしていたのに、豊国乃大明神(とよくにのだいみょうじん)として祀られてしまった秀吉さん…。
いったいどうなってしまうのでしょうか?
祀られた秀吉さんのその後
取り残されている秀吉さん

新八幡様になるために周到に準備をしていたのにも関わらず、豊国乃大明神として祀られてしまった秀吉さん。
その結果どのようなことが起こったのかというと…
中途半端な次元の空間に取り残されている。
なんと、秀吉さんは神様にも、仏様にもなれず、次元の空間に取り残されてしまったとのこと!!
桜井識子さんが豊国廟を初めて訪れたのは2013年のことでした。
このときにも桜井識子さんには、秀吉さんから覇気がないように感じられたそうです。
桜井識子は、2015年に再び豊国廟を訪問したときに、なぜ元気がないのかを秀吉さんに聞きました。
理由を聞くと「取り残されている」と言います。
神様にもなれないし、仏の道にも進めない、中途半端な次元の空間に取り残されているからだ、と言うのです。
運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】
秀吉さんの死から400年以上経過していますが、その間ずっと取り残されたままだったということですね〜。
新八幡さまになるために準備をしてきたのに、別の神様として祀られてしまったからこのようなことになってしまったそうです。
神様にも仏にもなれない秀吉さん
秀吉さんが神様になれない理由

次元の空間に取り残されてしまったのは、違う神様として祀られてしまったからだと説明しましたが、それ以外にも理由がありました。
それは江戸幕府による豊国神社への仕打ちです。
1615年、大坂の陣で豊臣家が滅亡すると、江戸幕府を開いた徳川家康は後水尾天皇の勅許を得て、豊国乃大明神の神号を剥奪します。
徳川家康は、「秀吉はもはや神ではない」とし、無理やり国泰院俊山雲龍大居士という仏式の戒名を与えたそうです。
そして豊国神社の社殿の取り壊しも計画されました。

そこは秀吉さんの正室・ねねが江戸幕府に頼み込んで、なんとか社殿は残せることになったものの、「豊国神社への修理を今後一切禁止とする。朽ち果てるままに放置するように。」と言われてしまいます。
自然消滅という形を取らされただけで、事実上、取り壊しとなんら変わりないですね。
さらに豊国神社の敷地内には新日吉神社(いまひえじんじゃ)が移築され、豊国神社への参道も塞がれてしまっていたそうです。
秀吉さんの祈願だった神様になるための神社は、名前を変えられ、崇めることを禁止され、神社への参道は塞がれ、と、非常に悲しい運命をたどります。
明治時代に入り、1868年の明治天皇により豊国神社の再興を布告する沙汰書が下されるまで、250年以上放置されることになったのでした。
『運玉』にはこのように書いてあります。
それだけではなく、徳川幕府の世になって神社は取り壊されてしまいます。
そして壊されたまま明治時代になるまで放置されるのです。
違う方法で祀られ、さらに神社まで壊されて、秀吉さんは神様にもなれず、神様になる修行すらできず、かといって普通の人みたいに仏の道も歩めません。
運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】
神様になるルートを辿らない一般的な人は、死んだら仏様として成仏し、また次の人生に進む準備を始めます。
秀吉さんも、神様になれないのであれば400年もねばらずに諦めて仏の道に入っては?と思われる方もいるかも知れませんが、実は秀吉さんには仏の道に入れない理由がありました。
秀吉さんが仏の道に入れない理由

秀吉さんが仏の道に入れない理由。
それは「特定の神様になるよう術を掛けられているから」です。
仏の道に進めないのは、神様になる準備段階で、特定の神様になるよう術を掛けられているからです。
現代の人ではこの術を解ける人はいないのだそうです。
運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】
新八幡様になるために周到に準備をしてきた秀吉さん。
それが逆に仇となり、中途半端な次元の空間に取り残されてしまうことになったのです。
現代にこの術を解ける人がいないとなると…、秀吉さんはずっとこのままなのかなぁ?
信仰心が秀吉さんを救う

初めて『運玉』を読んだときのわたしは、秀吉さんが取り残されているという部分を読んで
秀吉さんが神様の道に入るためにはどうしたらいいのだろう?
なにか出来ることはないんだろうか?
と思っていました。こう思ったのは私だけでなく、桜井識子さんの読者みなさんが思っていたみたいです。
しかし予想に反して、本の発売と同時にたくさんのメッセージやお手紙が届きました。
「秀吉さんを救う方法はありませんか?」「私にできることはありませんか?」という内容です。
運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】
さらにそれからは、「豊国廟に行ってきました!」「秀吉さんに会ってきました」というご報告がこれまた膨大な数のメールやお手紙で届き、こちらも心底ビックリです。
「いてもたってもいられず、日帰りで行ってきました」と書かれていた遠方の方もいらっしゃいました。
運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】
このようにして多くの方が秀吉さんのもとを訪れた結果、秀吉さんの状況が飛躍的に良くなったそうです!
以前は桜井識子さんは「秀吉さんは暗くて元気がない」と説明されていましたが、2016年に3度目の訪問をしたときには「本人が明るく輝いている」とおっしゃっています。
多くの人の秀吉さんを思う心のおかげで、秀吉さんの状況がだんだんと良くなっていったみたいです!!
神様修行に入られた秀吉さん
神様修行に入られた秀吉さん

2016年のときには、まだ神様になる準備が整ったわけではなく、「時空の空間に取り残されている状況は変わってはいないものの、状況はだんだんと良くなってきている、明るい兆しが見えてきている」という段階でした。
ところが、さらに時は流れ2018年。桜井識子さんの4度目の豊国廟訪問のときです。
桜井識子さんが大号泣する出来事が起こります。
秀吉さんが神様修行に入られたのです!!
よかったーーー!!
なんと遂に!400年かかって念願の神様になる準備が整いました!
秀吉さんからしたら本当にようやく!やっと!このときが来た!という感じですよね。
時間はかかりましたが、無事神様修行に入られて本当によかったです(涙)
私がなによりもビックリしたのが、事の進む早さです。
桜井識子さんが初めて秀吉さんに会ったのが2013年。
『運玉』を出版し、秀吉さんの状況(暗くて、次元の空間に取り残されているということ)がみなさんに伝わったのが2015年。
状況を知ったことで「秀吉さんを救いたい!」と思う参拝者が増え、秀吉さんに明るさが出てきたのが2016年。
神様修行に入られたのが2018年。
桜井識子さんが秀吉さんに出会ってから、神様修行に入るまでわずか5年しか経過していません。
400年以上なにひとつ動かず、次元の空間に取り残されていた秀吉さんが、たった5年で神様修行にはいることができたのです。
不可能かと思われた神様修行入り

2015年の段階で桜井識子さんは実は、「このままでは神様修行に入ることは不可能では?」と感じていたそうです。
実は、前の状態のままだと秀吉さんを救う方法はたったひとつしかありませんでした。
いまは詳細を書くことができませんが、その方法は実現不可能なのでは?と思ってしまうものでした。
運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】
ここでいう前の状態というのは、暗く、次元の空間に取り残されている状態のことを言います。
2015年の暗く、次元の空間に取り残されている秀吉さんに対して、桜井識子さんは「救うのは不可能かも?」と感じていたと言います。
神様修行に”入る“という、そこまでが非常に困難だったので、「私もお手伝いします」とは言ったものの「無理ではないか」とどこかで冷静に考えていました。
運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】
ですが『運玉』を読み、秀吉さんに会いに来てくれた人が増えたおかげで状況は一変。
2016年には秀吉さん自身も、
なんとかなりそうだ。
今後も親切な人がたくさん来てくれたら、このまま神様修行に入れるかもしれない。
と桜井識子さんにお話しています。
秀吉さんを救ったのは皆さんの想う心

明るみが出てきた秀吉さん。2016年には次のように話していました。
「これは、すべて参拝に来てくれた人々のおかげである」と。
多くの人が訪れて、秀吉さん、秀吉さん、と慕う…それは、とっても大きな力になるのだそうです。
純真な信仰心が良い状態に上げてくれた、と言っていました。
運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】
そして、2016年から2018年までの間に秀吉さんを慕う、相当な数の参拝者が現れたのでしょう。
心から秀吉さんを思う気持ちが秀吉さんに届き、秀吉さんは2018年に無事、神様修行にはいることができたのでした。
不可能だと思われていた神様修行に入れたことを知った桜井識子さんは、泣いて喜んだそうです。
秀吉さんの場合、次元の隙間に落ちていたこと、変な呪縛がかかっていたので、その位置から神様修行に入るまでが大変だったのです。
想像を絶する難易度の高さ、でした。
そこまでレベルアップ(という言い方は微妙に違うのですが、ピッタリの言葉ないので使っています)することは、秀吉さん自身の力だけでは絶対に、本当になにをどうしても無理でした。
しつこいのですが、神仏でさえも、救いたくても救えない、そのような状況だったのです。
運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】
本当に本当によかったです!!
暗く狭い空間で400年以上過ごされていた秀吉さんのことを思うと、本当に涙がこみあげてきそうです。
【亡くなってからの豊臣秀吉さん】まとめ

以上、日本一の大出世を遂げた天下人・豊臣秀吉さんの亡くなったあとについてまとめました。
一時は暗く狭く、寂しい空間にひとり取り残されていた秀吉さんでしたが、多くの人の秀吉さんを思う気持ちのおかげで400年越しの願いが叶い、無事神様修行に入ることができました。
本当によかったです!!
わたしはこれまで豊国廟を訪問したことがないので、関西に行った際には訪れたいと思っています!
- 死ぬ前から新八幡様になるため、周到な準備をしてきた秀吉さん
- 死後、朝廷から豊国乃大明神として祀られてしまう(秀吉さんの希望に反する)
- 神様修行に入れず、400年以上もの間、次元の空間に取り残されてしまった
- 別の神様として祀られてしまったから
- 江戸幕府による神社の取り壊しがあったから
- 秀吉さんの神社が復活したのは明治時代に入ってから
- 桜井識子さんが初めて秀吉さんを訪問したのは2013年。
運玉に関するお話を聞いた。 - 2度目の訪問は2015年。
このときに初めてなぜ次元に取り残されているのかの理由を聞く - 3度目の訪問は2016年。
桜井識子さんの著書『運玉』を読んで秀吉さんの状況を知り、助けたいと思った方が多数、秀吉さんの元を訪問。
秀吉さんに明るさが出てくる。 - 4度目の訪問は2018年。
秀吉さんが神様修行に入る。
死んだあとにその人がなにをしたのか、年表を作るってなんだかすごいですねw
今回も秀吉さんについて楽しくまとめさせていただきました!
桜井識子さん、秀吉さん、どうもありがとうございます。
『運玉』にはもっと多くの情報が載っています。
電子書籍(Kindle)でも手軽に読めるのでぜひ一度読んでみてください♪
あの軍師・黒田官兵衛もちょこっと登場します!

