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【豊臣秀吉さんの生涯まとめ】桜井識子さんが本人に直接聞いたお話を交えて歴史を振り返る

先日、桜井識子さんの著書『運玉(うんだま)』についてまとめさせていただきました。

運玉とは豊臣秀吉さんが桜井識子さんに教えた強運になる秘訣です。

運玉を育てることで、少しずつ運が強くなると豊臣秀吉さんは言っていました。

豊臣秀吉さんといえば、農民から天下人になるという大出世を遂げた人物。

かなりの運がなければここまで到達できませんよね。

そんな豊臣秀吉さんが教えてくれた運玉なのだから、効果があるに違いありません。

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『運玉』を読んで豊臣秀吉さんの生涯が気になってきました〜。

今回は、豊臣秀吉さんの人生を簡単にまとめさせていただきました!

天下人・豊臣秀吉さんの強運の秘訣"運玉"とは?【桜井識子さんの"運玉"まとめ】 2021年1月13日に『世界の何だコレ!?ミステリー』で本能寺の変特集が放送されました。 出典:世界の何だコレ!?ミステリー -...
  • 秀吉さんの出自は明らかになっていないが、貧しい家の出身なのは確か
  • 『運玉』では「農民の出」だと本人が言っている
  • 秀吉さんが織田信長と出会ったのは17歳のとき
  • そこから献身的に信長に尽くす
  • 本能寺の変で信長公が死んだのは秀吉さんが45歳のとき
  • 信長亡き後、天下統一の夢を引き継ぎ、秀吉さんが54歳のときにようやく日本初の天下統一を果たす
  • 戦国の世に終わりが訪れた
  • 秀吉さんが57歳のときに、後継者の秀頼さんが生まれる
  • 秀吉さんは61歳で病気で亡くなった
  • 死後は神様になろうと考えていた

豊臣秀吉さんの出自

豊臣秀吉さんは、1537年3月27日に尾張国愛知郡中村郷(現・愛知県名古屋市中村区)に生まれ、1598年9月18日に享年61歳で人生の幕を下ろします。

豊臣秀吉さんは貧しい家の出身ながら、織田信長に仕え、のちに初の日本全国統一を成し遂げた天下人です。

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日本一、出世を遂げた人として知られています!

一般的には父・木下弥右衛門と母・なかの子として生まれたとされており、両親の職業は足軽、農民、同朋衆、さらにはその下の階層とも言われています。

世界の何だコレ!?ミステリー』の中では

農民として知られる秀吉ですが、実は商人の子どもだったのではないかという説が出てきています!

というお話しもありました。

秀吉さんの出自を明らかにする確かな証拠はまだ出てきていないということです。

しかし書籍『運玉』の中に、桜井識子さんに「秀吉さんは自分の人生に悔いなし、ですか?」と聞かれた秀吉さんが

豊臣秀吉さん

慢心したことを悔いている。
それで醜態もさらした。

豊臣家を安泰に維持させ未来にまで残そう、天下一の家柄のまま持続させようと考えたことも、慢心からだ。

農民が天皇家のように上位にいて続くはずがない、慢心せずにちゃんと考えていれば打つ手はあった。

と答えているお話が載っているので、豊臣秀吉さんは農民の出身なのではないかと私は考えています^^

豊臣秀吉さんと織田信長

侍を目指した秀吉さん

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秀吉さんの父・木下弥右衛門が死去したあと、母・なかは竹阿弥と再婚します。

再婚相手の竹阿弥と秀吉さんは折り合いが悪く、幼い秀吉さんはしょっちゅう虐待されていたと言われています。

そのような家庭状況にあった秀吉さんは1550年、13歳のときに家を出て侍になることを決意し、遠江国(現・静岡県)へ向かいます。

秀吉さんは最初、のちに桶狭間の戦いで織田信長と対戦し、敗北したことで名が知られる今川義元今川家…の家臣の家臣の家臣くらいの存在の松下家で仕えていたそうです。

秀吉さんはそこでも持ち前の頭の良さを発揮

その優れた働きぶりが仲間の嫉妬・恨みを買い、松下家を逃げなければならない状況に追い込まれたと言われています。

秀吉さんは松下家を出たあと、故郷の尾張国に戻り、そこであの織田信長に仕えるようになるのです。

織田信長に仕える秀吉さん

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織田信長に仕えるようになったのは1554年、秀吉さんが17歳のときでした。

まず秀吉さんは、信長の雑務を引き受ける小者(こもの)という仕事に就きます。

小者になった秀吉さんは、それはもう献身的に主君・信長に仕えます。

あの有名な『草履を胸で温め、信長が履くときに冷たくないようにしていた』というストーリーは小者時代のお話です。

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現在、この草履のお話しは後付された作り話ということにされているみたいですが、秀吉さんが織田信長に献身的に仕えていたというのは本当みたいです。

『運玉』に、秀吉さんが信長に献身的に尽くしたエピソードが載っていました。

秀吉さんは信長に呼ばれた際には、体調が悪いとき以外は必ず安土城まで走って向かっていたそうです。

安土城は山の上にあるため、上まで行くには約400段ある石段を登っていかなければなりません。

安土城へ続く道

写真で見てもかなり急な坂道だということがわかります。

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これを秀吉さんは毎回走って登って行ったというのだから驚きです…!

信長に「今すぐ走って来い」と言われていたわけではなく、自主的に全力で走って向かっていたそうです。

なぜそんなことをしていたかというと…

豊臣秀吉さん

初めて見た人は緊急で呼ばれたのだなと思う、しかし何回かその姿を目にすると、秀吉という人は毎回必死になって走って登るんだな、と気づく。

それはいつか必ず信長様の耳に届く。

すると信長さんは、秀吉さんがいつも自分に対して一生懸命であることを知り、秀吉さんの忠誠心をわかってくれる、そう思ったと言います(この件だけでなくほかにもいくつか、見えないところで一生懸命尽くすことをしていたのだろうと思われます)。

運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】

信長に忠誠を誓い、目にかけてもらいたい、将来に繋げたい、寝返るかも知れないと疑われたくない、と思っていたからからこそ、秀吉さんはこの辛い石段を毎回全力で駆け上がっていたそうです。

豊臣秀吉さん

「あいつは出自がいやらしいから必死だな」「見ていて滑稽だ」と人にどれだけ嘲弄(ちょうろう)されても、信長さんに本心を分かってもらうほうが大切だった。

あらゆる場面で頑張った。

と桜井識子さんにお話しています。

口先だけで「あなたにこの身を捧げます」と言うだけでなく、実際にからだでそれを示していたのですね。

秀吉さんは「人たらし」と言われるほど(言葉が悪いように思えます笑)、人の心を掴むのが上手かったそうです。

maru

たしかに自分が信長だったら「あいつはいつも俺のために一生懸命になってくれる。かわいいやつめ。」と思ってしまいそうですよね。

さすが秀吉さんです!

織田信長の死

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時は流れ1582年7月1日、明智光秀による本能寺の変が起こります。

秀吉さんが45歳のときでした。

秀吉さんが30年以上仕えてきた主君・信長が、明智光秀の裏切りによって京都の本能寺で自害に追い込まれてしまったのです。

天下統一が目前へと迫っていた信長に訪れた突然の死

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まさか信長が死ぬだなんて誰も思っていなかったので、安土城の城下町に住む人達は「信長様が死んだなんて嘘の情報では?」と思ったそうです。

本能寺の変が起こった当日、秀吉さんは本能寺のある京都から230km離れた備中国高松(現・岡山県)にいました

毛利軍と戦っていた秀吉さんでしたが(備中高松城の戦い)、本能寺の変が起こった当日の夜〜翌日の朝の間に、信長が死んだという報が入るやいなや、独断で和睦(わぼく)を結び、毛利軍との戦を終えてしまいます

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会社でいうと社長の許可も得ず、独断で大きな商談を勝手にまとめてきたのと同じこと!

かなり勇気のいる行動です。

maru

すごい行動力ですよね!
もし情報が誤っていて信長が生きていたとしたら、あとでめちゃくちゃ怒られそうです…。

戦をまとめた秀吉さんは、主君・信長を自害に追い込んだ明智光秀を討つため、全軍を率いて200km以上もの道を全速力で駆け抜けます

この10日におよぶ秀吉軍の大行進は「中国大返し(ちゅうごくおおがえし)」と呼ばれ、日本戦史上屈指の大強行軍だと言われています。

無事京都に到着した秀吉さんは、戦いの末、信長の仇である明智光秀を山崎城に追い込みます。

秀吉軍の目をかいくぐり、なんとか山崎城から脱出を果たした明智光秀でしたが、最後は本拠地・坂本城を目指す途中で落ち武者狩りを行っていた農民に殺されたと伝えられています。

天下人・豊臣秀吉さん

初の天下統一

close up photography of cherry blossom tree

天下統一を目の前に、夢半ば人生に幕を下ろした織田信長に代わり、秀吉さんが天下統一の夢を引き継ぎます。

政治の面では朝廷に近づき、関白にまで上り詰めます。

関白とは、成人の天皇を補佐する役目のことで、事実上、公家(朝廷に仕える貴族・上級官人の総称)の最高位でした。

maru

天皇の次に朝廷で力を持つ人物にまでなったのです!

農民出身の秀吉さんすごすぎる…!

本能寺の変から8年後の1590年、小田原北条氏を滅ぼし、これにて名実ともに天下統一が果たされます。

秀吉さんが54歳のときでした。

秀吉さんが天下統一を成し遂げたことで、戦国の世にようやく終わりが訪れました。

天下統一後の秀吉さん

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天下統一後は、日本だけでなく大陸も制覇しようと2度朝鮮出兵を行いました。

中国・朝鮮との争いでしたが、こちらは決着がつくこと無く、日本軍の撤退により戦が終了しています。

秀吉さんが57歳のときには、秀吉さんの後継者となる秀頼さんが生まれています。

秀頼さんのことをとても大事にしていたようで、晩年には多くの人に「秀頼を頼む」と言って回ったそうです。

1598年、秀吉さんは61歳でこの世を去ります。

死因は「脚気(かっけ)」、「胃がん」などさまざまな説があります。

秀吉さんは生前から神様になるための手はずを整えていました。

死後すぐに、神様として祀られることを望んでいたのです。

亡くなってから秀吉さんは、朝廷より豊国乃大明神の神号を与えられ、豊国廟に祀られることになりました(この神号がきっかけで秀吉さんは死後400年以上、つらい思いをすることに…!)

maru

この豊国廟で、桜井識子さんと出会い、いろいろなお話しを交わすことになるのですね!

秀吉さんは天下をとる運命ではなかった?!

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農民から天下人にまで上り詰めた豊臣秀吉さん。

もともとそういう運命であったから、農民という低い身分であっても天下統一を成し遂げられたのでしょうか?

秀吉さんによると、実は秀吉さんは、もともと天下を取る運命の人ではなかったと言います。

あの本能寺の変で運命が変わったのだそう。

秀吉さんって、生まれる前に天下を取る計画をしてきたのですか?

「そうだ」という答えが帰ってくると微塵も疑わない質問でした。

それが予想に反して「違う」と言うのです。

「えええーっ!」と思わず、大声で叫んで立ち止まりました。

運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】
maru

びっくりですよね!!
生まれる前から計画していないとこんな大出世できないような気がしますよね普通!

秀吉さんは続けて、

豊臣秀吉さん

信長公は本当はもっと生きる運命であった。
寿命はもっと先だった。

殺されたのは運命ではない。

信長公が殺されたので、歴史とワシらの運命も変わった。

とお話されたと言います。

日本は統一される、という国としての運命は決まっていたそうです。しかし、織田信長が運命にない早死にをしてしまいます。

そこで信長の周りにいた個人の運命も少しずつ変わったそうです。

信長に仕えていた武将、ほかの戦国武将、もちろん明智光秀もそうですし、秀吉さんの運命も大きく変わって、それで天下人になれた、ということでした。

運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】
maru

なるほど…!

日本の運命として統一されるというのが決まっていたから、信長に代わって、もともと天下統一の運命にはなかった秀吉さんが天下統一を成し遂げることが出来たのですね!

人の人生とは分からないものです…!

合わせて、このときに大事になってくるのが「神仏である」と秀吉さんは言っています。

そのときに力になってくれるのが、神仏である、とここはハッキリ言っていました。

どの神仏になにをどう願うのか、それまでにどう信心しておくのか、ということが大事だそうです。

運玉 誰もが持つ幸運の素 (幻冬舎文庫) 【 桜井識子 】
shinto shrine in blue lake in japan
豊臣秀吉さん

人の人生は図らずも、そのようにして変わることがあり、変化するものである、だからこそ日頃から信心しておくことが肝要なのだ。

それを身を持って体験した秀吉さんが言うのだから、言葉の重みは格別です。

秀吉さんが言うのだから間違いないのでしょう。

自分の運命を変えるそのときが来たときには、力を貸してくれるのは神仏なんですね。

maru

そういった効果だけを目当てにしているわけではありませんが、いざというときに力になってくれるというのを聞くとより一層、神社に行くのが楽しくなってきますね!

生きていた頃の豊臣秀吉さんまとめ

green leafed tree near white and blue house

以上、生きていた頃の豊臣秀吉さんの生涯をまとめてみました。

ここに書いてある秀吉さんの生涯は、一般的に知られている「豊臣秀吉に関する情報」をまとめたものになります。

決して豊臣秀吉さん本人から直接聞いたことではありません。

桜井識子さんが豊臣秀吉さん本人から聞いた話は、引用や吹き出しを使ってご紹介させていただいております。

maru

生きていた頃の秀吉さんの歴史を振り返ることで、『運玉』でお話されている内容の理解がより一層深まりました。

秀吉さんについて調べれば調べるほど、『運玉』を読み返せば読み返すほど、秀吉さんのファンになってしまいます。

神様になることを望んでいた秀吉さんですが、果たして無事、神様になることができたのでしょうか…?!

次は亡くなってからの秀吉さんについてまとめたいと思います!

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